あなたは「他人に期待しなければ人間関係の悩みが減る」と聞いて何を思いますか?
「他人に期待しないことは孤立につながるでは?」という疑問を持つのではないでしょうか。
この記事では他人に期待しないことの本当の意味を解説します。
- 上司に対して「もっと優しい言い方をしてほしい」と思うことが多い
- 誰かの協力が必要なときに「どうせ手伝ってくれないだろう」と考えて助けを求めることができない
- 同じ価値観の人はいない思いつつも相手に同意を求めている自分がいる
- 周囲には「大丈夫です」と言っているが本当はストレスを感じている
他人に期待しないことの本当の意味は「他人に期待しないけど信じる」ということです。
人間関係でストレスを抱えることが多い人は、他人に期待しているのに信じていません。
この記事では「信じることはどういうことか?」や信じることが難しいと感じる嫌いな人に対する考え方を解説します。
- 他人に期待しないけど信じるとは?
- どうすれば他人に期待しないようになれるか?
- 嫌いな人をどこまで信じればいいのか?
他人に期待しないことの本当の意味がわかれば、人間関係の捉え方が変わります。
結果として嫌いな人や苦手な人が減り、人間関係のストレスが減るはずです。
この記事を読むことによって、人間不信にならないヒントも得られるでしょう。
他人に期待しないで信じるためには、自分のことを信じきれなければ実践できません。
本当の意味での自信に関してはこちらの記事でも解説しています。
【参考記事】【自己肯定感を高める7つの方法】自分に自信を持つための完全ガイド
他人に期待しないことの本当の意味とは?
他人に期待しないことに関して、一般的に言われているメリットが人間関係のストレスが減ることです。
その一方で、ストレスやトラブルが減る反面、人間関係が希薄になって孤独を感じやすいというのが一般的に言われているデメリットです。
- 裏切られても落ち込まない
- イライラが減り冷静になれる
- 見返りを求めなくなるから精神的に自立できる
- 傷つくことが減るけど孤独を感じやすくなる
- 冷静になれても相手に対する関心がなくなり共感性に乏しくなる
- 精神的に自立できるけど何でも1人で抱え込む
本当は他人に期待しないことにメリットもデメリットもありません。
本当の意味での「他人に期待しない」とは相手を信じることだと冒頭でお伝えしました。
他人に期待しないと思っている人の中にも実は他人に期待している人がいます。
本当に他人に何も期待していない人もいますが、その人も実はストレスを抱えているはずです。
確かに裏切られて落ち込むことやイライラすることはストレスだと言えます。
しかしながら、孤立することによって何でも1人で抱え込む孤独を感じることもストレスではないでしょうか。
それに孤独を感じると「誰か助けてくれないかな」と考える可能性があります。
「誰か助けてくれないかな」と考えるのは期待していることですよね。
人間関係をただドライに考えてしまう人は他人を信じることができません。
孤独を感じて「誰か助けてくれないかな」と考えながらも、相手を信じることができない状態はなかなか辛いですよね。
他人に期待しているのに信じていない人は意外と多い気がします。
ここでは相手に期待をしないで信じるとは何かを解説します。
- 「言わなくてもわかってほしい」と考えないこと
- ありのままの相手を受け入れること
- 相手を許すこと
「言わなくてもわかってほしい」と考えないこと
「わかってほしい」と思うのは他人に期待することです。
「わかってくれるだろう」と思うのは信頼することです。
期待と信頼を分けて考えましょう。
「わかってほしい」と期待して理解されないと感じたときはガッカリしますよね。
でも「自分のこの意見は受け入れてもらえなかったけど、自分のことはわかってくれるだろう」と考えたほうが人間関係のストレスは減ります。
ちなみに、この「わかってほしい」という気持ちは「言わなくてもわかってほしい」という意味です。
「言わなくてもわかってほしい」と考えると、裏切られたと感じる回数が増えます。
でも、冷静になって考えると言わなければ伝わらないですよね。
勝手に期待して伝えるべきことを伝えず、勝手に失望している人は少なくありません。
「言わなくてもわかってほしい」と考える人は、伝えるべきことを伝えないことが多いです。
「自分の指示がなくても部下が全部やってくれるだろう」と考える上司はその典型だと言えます。
「これお願い」と言えばいいのに指示を出さず、我慢できなくなった頃に「やれよ!」と怒って指示を出す人を見たことがありますか?
その部下が本当は仕事の意欲が高くても上司の機嫌が悪くなると、勝手に部下に対する不信感を持ってしまいがちです。
部下に不信感を持つと「もうキミには頼まない」と言って、上司が1人で仕事を抱え込むことになる可能性があります。
職場で「オレはお前に何も期待してないから」といった言葉を聞いたことがありますか?
でも、そういうことを言ってしまう人ほど文句が多いです。
本当に何も期待していないなら文句を言わないはずですよね。
僕は昔「僕がやりますよ」と言っても「オレがやるからお前はやらなくていいよ!」と怒って言う人と一緒に働いたことがあります。
「お前には何も期待していない」と言いながらも「言わなくてもわかってほしい」とも思っているのです。
さて、上司の立場の人を例に出しましたが、あなたはどうでしょうか?
「言わなくても自分の気持ちをわかってほしい」と考えていないでしょうか?
「なんでもっと優しい言い方をしてくれないの?」と考えすぎることは、「辛いと言わなくても自分の気持ちをわかってほしい」と同義です。
他人に期待しないことは、自分のことを理解してくれるかどうかを相手次第だと考えるスタンスです。
自分のことを理解するのも相手の自由で、自分のことを理解しないのも相手の自由です。
相手に考えの自由を与えたうえで「わかってくれるだろう」と考えるのが期待しないけど信じることだと考えてください。
もちろん他人に期待しないことは我慢することではないので、伝えたいことがあるのなら自分の意見を言いましょう。
ただし、相手にはYesと言う自由もあればNoと言う自由もあります。
あなたは「でも、それって自己犠牲じゃないんですか?」と思ったかもしれません。
自己犠牲にならずに相手を信じることに関しては「他人に期待しないで相手を信じる生き方」のところで解説します。
今この段階ではこの3つが他人に期待しないことの本当の意味だと考えてください。
- 「言わなくてもわかってほしい」と考えないこと
- わかってほしいと思ったら相手にちゃんと伝えること
- 相手に考えの自由を与えること
ありのままの相手を受け入れること
相手のことを本当の意味で信じることができないから裏切られたと感じるのが真実です。
では、相手のことを信じるとは何でしょうか?
「こうあってほしい」と考えるのは相手に期待することです。
「どんなあなたでもOK」と考えることが相手を信じることです。
相手を信じることはありのままの相手を受け入れることだと言っていいでしょう。
ありのままの相手を受け入れることに関して最適な具体例が女優の芦田愛菜ちゃんの言葉だと僕は考えています。
映画「星の子」の完成イベントで「芦田さんにとって信じるとはどういうことですか?」と質問されたときに彼女はとても高校生とは思えない回答をしました。
「その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の理想像に期待してしまっていることなのかなと」
この回答をしたのは彼女が16歳だったときですよ。
とても当時16歳とは思えません。
以下YouTubeからの引用です。
”信じる”について芦田は
「裏切られたとか期待していたとか言うけれど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止めることができる、揺るがない自分がいることが信じることだと思いました」
と高校生とは思えない回答を披露
「芦田愛菜、高校生とは思えない大人な発言にキャスト困惑?」の説明欄から引用
芦田愛菜ちゃんのこの言葉には他人に期待しないことの本当の意味のすべてを含んでいる気がします。
「こんな人だとは思わなかった」と感じた瞬間に「信じていたのに裏切られた」と思ってしまいますよね。
自分の知らなかった一面を見せられたときに「それでも相手を信じよう」と考えることが本当の意味での信じることであり、本当の意味で他人に期待しないことです。
「信じていたのに裏切られた」のではなく、相手を信じることができないから裏切られたと感じるものだと考えてください。
相手を許すこと
他人に期待すると「あの人は◯◯したから信じられない」と考えてしまいます。
「あの人のこの言動はよくないと思うけど、その言動があの人のすべてではない」と考えられることで相手を許すことができます。
他人に期待しないことの本当の意味は相手を許すことです。
では、どうすれば相手を許すことができるでしょうか?
相手を許すために事と人を分けて考えましょう。
ネガティブなことは「人」に結びつけてしまいがちです。
ネガティブなことは「事」に結び付けて考えるようにしてください。
「あの人は◯◯した」という認識は全体ではなく部分の認識です。
それに対して「ネガティブな部分=その人」と認識してしまうことが全体の解釈です。
「あの人=○○」と考えると人を簡単に嫌いになってしまいます。
たとえば10回の待ち合わせのうち、2回だけ遅刻した人がいたとしましょう。
その2回の遅刻を見て「この人は遅刻をする人」と認識してしまう思考パターンは事と人とを分けて考えられていません。
一部の情報だけをピックアップして、全体を判断してしまうことを一般化と呼びます。
この場合の一般化は「相手=遅刻をする人」になっていることです。
相手を許すためには一般化の視点で相手を見るのではなく、事と人と分けて相手を見ましょう。
たとえ過去に不愉快な言動があったとしても、昔のその人と今のその人は違うはずです。
他人に期待しないで相手を信じる生き方
前半部分では他人に期待しないことの本当の意味として
- 「言わなくてもわかってほしい」と考えず、相手に考えの自由を与えること
- ありのままの相手を受け入れること
- 相手を許すこと
このような解説をしました
ここまでの解説であなたの頭の中には我慢することや自己犠牲のリスクがあると思います。
ここでは他人に期待しないで相手を信じる生き方をするためには、どんな考え方を持てばいいのかを解説します。
- 自分のニーズを1つの意見として伝える
- 加点方式で相手を見る
- 自分の心を自分で満たす
自分のニーズを1つの意見として伝える
相手に期待をしていなくても自分の意見を伝えて大丈夫です。
「期待しないこと=意見を言わない」ではないではありません。
この記事で他人に期待しないことの本当の意味は、相手を信じることだとお伝えしています。
相手を信じていなければ「どうせ意見を言ったところでわかってくれない」と考えてしまいますよね。
相手のことを信じることができるからこそ、「意見を言っても大丈夫だ」と思えるのではないでしょうか。
むしろ意見を言わずに我慢したら、嫌いにならなくてよかった相手を嫌いになってしまいます。
前半部分でのお伝えしましたが、「言わなくてもわかってほしい」と考えないようにしましょう。
常に「自分の気持ちを察してほしいと考えていないだろうか?」と自分に問いかけるようにしてください。
伝えたいことがあるのなら相手に伝えるべきですが、意見を言うときの注意点は文句を言うように伝えないことです。
「自分が言おうと思っていることは文句だろうか?意見だろうか?」と冷静に考えましょう。
では、文句と意見の違いは何でしょうか?
文句は自分のことだけを考えていることやイライラしながら伝えることです。
「なんで◯◯してくれないの?」と考えているときは怒りを感じているときですよね。
たとえ内容が正しくてもイライラしながら伝えることは意見ではなく文句です。
それに対して意見は自分と相手の両方を考えて穏やかな気持ちで伝えることです。
同じ内容のことを伝えるのでも伝えるときの心の状態によって伝わり方が変わります。
- 「◯◯お願いします」
- 「なんで◯◯してくれないの?」
相手が気持ちよくYesと返答できるのはどちらだと思いますか?
たとえ◯◯に入る言葉が同じでも、イライラしながらではキツイ口調で伝えることになります。
- 文句は自分のことだけを考えることで、意見は自分と相手の両方を考えること
- 文句はイライラしながら伝えることで、意見は穏やかな気持ちで伝えること
加点方式で相手を見る
他人に期待しすぎる人ほど減点方式で相手を見てしまう傾向があります。
減点方式とは「◯◯したからマイナス5点」という見方です。
減点方式で他人を見ると信じることができなくなります。
減点方式で人を見てしまう人は「どうせ」と言いつつ期待しているのです。
ネガティブなことに関しては、一般化せず事と人を分けて考えましょう。
他人の残念な言動も1回1回リセットすれば、「どうせあの人は」という発想にはなりません。
その一方で、他人に期待しないで信じることができる人は加点方式で相手を見ています。
加点方式で相手を見ることは「◯◯してくれたからプラス5点」のようなイメージです。
本当は相手をジャッジすることはよくないことだから点数を付けることが望ましくありません。
ですから、加点方式で相手を見ることはポジティブな側面にフォーカスすることだと考えてください。
他人を加点方式で見ることによって信頼感がアップします。
感謝の気持ちも持てるようになるでしょう。
相手に過度な期待しないのに感謝できることはステキなことだと思いませんか?
期待するから当たり前だと思ってしまうので、期待しないからこそ感謝できると言ってもいいでしょう。
ここまでの解説で他人に期待しないことは人間関係をドライに考えることではないという僕の真意が伝わったらうれしいです。
さらに付け加えるなら、他人だけでなく自分も加点方式で見るようにしてください。
他人に期待しすぎる人は「どうせ」と考えながらも期待値に満たないと不満を口にします。
自分自身を見る目も同じで、自分を信じられない人は「どうせ」と考えることが多いです。
「どうせ」に続く言葉はポジティブな言葉ではなく、決まってネガティブな言葉ですよね。
でも、「どうせ」と言いつつもストレスをためる人は期待しているんですよ。
不必要に期待値のハードルが上がると、結果として自分も他人も信じられなくなります。
本当に意味での自信は成果が出ていないときでも「自分は大丈夫」と信じることです。
人間関係で悩んでも「それでも大丈夫」と考えることが自分と相手を信じることです。
仕事も人間関係もうまくいかないときでも、淡々とやるべきことを継続できるかは自己肯定感がポイントになります。
自己肯定感が下がるとどんな考え方になってしまうのでしょうか?
- できると思っていたことができなかった
- 自分が無能だと思えて自分が信じられなくなる
- 「どうせ自分は」と考えるようになる
本当の自信は成功体験よりも失敗体験のときに試されます。
うまくいかないときに心が折れずに自分を信じることが本当の自信だと考えてください。
これと同じように相手のイヤな部分を見てしまっても「それでも信じよう」と思えることが本当の信頼です。
もちろん、ネガティブな側面を無視しろということではありませんが、自分も他人も信じきるために加点方式で見ましょう。
自分の心を自分で満たす
本当は自分がやるべきことなのに相手がやってくれたと感じると感謝の気持ちが持てます。
でも、自分のニーズが満たされないことが喜びという人はいませんよね。
我慢することや自己犠牲の精神で行動しないためには、自分のことを自分で満たすことが必要です。
自分のことを自分で満たせれば、他人が何かしてくれることをおまけだと考えられます。
心が満たされることによって、ちょっとした不愉快な発言も許せるようになるにもなるでしょう。
自分を満たすことに関しては、コップに飲み物が注がれるイメージを持ってください。
人間関係をシャンパンタワーの流れに見立てて考えることをシャンパンタワーの法則と呼びます。
シャンパンタワーはグラスをピラミッドのように並べてシャンパンを注いでいきますよね。
1番上のグラスに注がれたシャンパンがあふれて、2段目、3段目、4段目と流れていきます。
他人に期待しないことの本当の意味はシャンパンタワーの法則だと言ってもいいでしょう。
自分の心が満たされるから他人に期待せず信じることができるようになるわけです。
自分を満たせないから他人に期待してしまいます。
シャンパンタワーのイメージが持てれば、自分を満たすことが自己中心的な考えではないことが理解できるのではないいでしょうか。
- 他人に期待しない
- 自分を満たす
- 人に与えることができる
この3つはイコールの関係です。
自分を満たすことは幸福感ですが、広い意味でも捉えることができます。
自分に自信を持つこととしても考えてみましょう。
自分の心を自分で満たすことができれば、そう簡単に傷つくことはありません。
他人を許すことができる人は満たされている人です。
それと、もう1つ他人に期待してしまうことに関して忘れてはいけないことがあります。
他人に期待する考えの代表格に「自分と同じであってほしい」という考えがあります。
「言わなくてもわかってほしい」と並んでトップ2の考え方だと言っていいでしょう。
自分の心を自分で満たして本当の意味で自信が持てたら、相手と意見が不一致でも相手の意見を尊重できるようにもなります。
あなたは「期待しないと思いつつも相手に同意を求めているかもしれない」と思ったことがありますか?
その悩みの解決方法は自分を満たすことだと考えてください。
自分の意見に自信が持てなければ、同意してくれる人がいることによって正解だと思えます。
だから自信が持てない人は「自分と同じ意見であってほしい」と考えてしまうのです。
自分に自信が持てれば相手の意見が自分と違っていても「それも1つの意見だ」と思えるはずです。
嫌いな人を信じる方法
ここまでの解説は相手が健全な人である前提の話でした。
ここからは職場の合わない人や嫌いな人に対する考え方を解説します。
信じることができたはずの人を信じられないと孤独を感じやすいです。
ですから、この記事で解説したことをしっかりインストールしてくださいね。
では、どうしても好きになれない人に対してはどんな考え方が必要でしょうか?
たとえ相手のことが好きになれなくても、一緒に仕事をするなら信用はしたほうがいいです。
嫌いな人や合わないと感じる人を期待しないことは難しくないですよね。
でも、嫌いな人を信じることは難しいはずです。
ですが、相手に不信感を持ったまま仕事をすれば、あなたのストレスがたまります。
- 「でも、上司はやる気を下げる言葉を平気で言うんですよ」
- 「キツイ口調の人に対して不信感しか持てません」
- 「自分ばかりが我慢している気がするのですが、どうやって相手を信じるのですか?」
このような悩みがある場合はどうすればいいでしょうか?
ここでは嫌いな人を信じるための考え方を解説します。
- 好き嫌いと信用を分けて考える
- 仕事に必要な情報を信じる
- ウソをつくこともあると考える
好き嫌いと信用を分けて考える
嫌いな人を無理して好きになる必要はありません。
無理して仲良くする必要もないです。
でも、好き嫌いと信用を分けて考えることは必要です。
好きか嫌いかの私情と信用できるかを分ければ、「好きになれないけど信用はできる」と思えます。
人間関係でストレスをためやすい人は敵認定するのが早すぎます。
職場の人間関係がストレスだと感じる人は「嫌いな人=自分の敵」だと認識していることが多いです。
好きや嫌いと信用を結び付けないことは、「信用できる」と「尊敬できる」を分けて考えることだと言ってもいいでしょう。
嫌いな人を尊敬することはできなくても信用することはできるはずです。
「好きか嫌いか」と「信用できるか疑うか」を分けて考えましょう。
仕事に必要な情報を信じる
嫌いな人や合わない人を好きになることはできませんが、信用することは可能だとお伝えしました。
しかしながら「でも、嫌いな人をどうやって信じるのですか?」というのが疑問だと思います。
嫌いな人や合わない人に対しては「仕事に必要な情報として、この人の意見を信じよう」と考えるようにしてください。
相手が詐欺師であれば話は別ですが、職場の嫌いな人や合わない人がウソをつくメリットはありません。
「仕事に必要な情報として、この人の意見を信じよう」と考えられればOKです。
職場の苦手な人に自分の人生を好転させるようなアドバイスを求めていないですよね。
ですから仕事に関係することだけは信じましょう。
嫌いな人は一緒にいて居心地が悪い人ですよね。
不愉快な言動が多い人やキツイ口調で話すことが多い人を嫌いになることが多いのではないでしょうか。
でも、仕事に必要な情報を信用しても傷つくことはないはずです。
とはいえ、何でも信用しろと言いたいわけではありません。
判断基準はシンプルで、
- その意見は仕事に関係することか?
- それとも仕事には関係ないことか?
この視点があれば大丈夫です。
仕事に関係する情報なら信用して、仕事に関係ないことならスルーしましょう。
ウソをつくこともあると考える
あなたの中に「ウソをつく人に対してはどうすればいいですか?」という疑問もあるかもしれません。
それに関しても考えはシンプルです。
信用できる情報と信用できない情報とを分けてください。
ウソをつく人の全部の情報がウソではないはずです。
疑う考えを半分だけ持ちながらも残り半分は信じる考えも持つということです。
ときどきウソをつく人に対しても事と人を分けて考えましょう。
1つのウソで「この人はウソつき」と考えるのではなく、1つ1つの発言をリセットして考えるようにしてください。
「昨日の発言はウソだったけど、今日の発言は本当だった」ということはよくあることです。
「ウソをつく人は嫌い」とだけ考えると、すべての情報を信じられなくなります。
ですが、その人のすべてを信用できなくても、情報の中には信用できるものはあるはずです。
ウソをつく“人”にフォーカスするのではなく、情報という“事”にフォーカスすればガッカリすることはないです。
「裏切られた」とか「信じられない」と考えているときは、人にフォーカスしていることによってのガッカリした気持ちがあります。
そうではなくて、その情報がウソか本当かを考えてください。
では、ウソかどうかはどうやって判断すればいいでしょうか?
職場でウソをつく人は
- 自分を守りたいと考えてウソをつく
- ラクをしたいからウソをつく
この2つのどちらかが理由になっていることが多いです。
自分を守りたいときというのは、自分のミスだと認めたくないときなどです。
できるだけ自分がラクをしたいから相手にそれをやらせる理由を語って自分はサボるときもウソをつきます。
不必要にイライラせずに断りたいときは冷静にNoと言えばいいだけです。
ですから、「そんなの自分でやればいいじゃないですか!」と言わなくても、「できません」と落ちついた気持ちで言いましょう。
自分のミスを隠したいときのウソは放置してください。
その人のウソの追求は上司に任せて「この人は自分を守りたくてウソをついているんだな」とだけ考えましょう。
イライラしながら「なんでウソをつくの?」と思うのはエネルギーのムダです。
他人に期待しないことの本当の意味まとめ
ガッカリだと感じる部分があっても、それはあくまで相手の一部であって人格のすべてではありません。
ガッカリな部分だけを拡大して見るのではなく、その人を丸ごと信じてあげることが本当の意味での他人に期待しないことです。
他人に期待しないことの本当の意味とは?
- 「言わなくてもわかってほしい」と考えず、相手に考えの自由を与えること
- 「信じていたのに裏切られた」ではなく、「相手を丸ごと信じることができなかったから傷つく」というのが真実
- 事と人を分けて相手を許す
他人に期待しないで相手を信じる生き方
- 文句はイライラしながら言いたいことだけを言うことで、意見は相手と自分の両方を考えて穏やかな気持ちで伝えること
- 自分も相手も加点方式で見ることによって信じられるようになる
- 自分で自分を満たすことが本当の意味での他人に期待しないこと
嫌いな人を信じる方法
- 好きか嫌いかの私情と信用できるかどうかを分けて考える
- 嫌いな人を尊敬できなくても仕事に必要な情報を信用する
- ウソをつく人に対しては全部をウソだと考えるのではなく、1つ1つの発言をリセットして考える
自分の心を自分で満たすことができれば、他人に過度な期待をしなくなります。
自分のことを本当の意味で信じることができれば、「自分と同じ意見を持ってほしい」と考えなくなります。
他人に期待しないことは違いを受け入れることができることだと言ってもいいでしょう。
しかしながら、この記事では自分の心を満たすことついて具体的に解説できませんでした。
加えて他人に期待しないためには傷つかない自分づくりも必要です。
自分を満たす考え方や傷つかない自分づくりをオススメ記事で解説しているいので、ぜひチェックしてみてください。